プロフィール

おかはん

Author:おかはん
電動アシスト自転車で、日本全国の地図塗りつぶし、全県全市郡完全走破を企んでいる
乳がんホルモン療法中で自転車乗り
今好きな言葉
『志は高く目標は低く成るがまま』

挑戦中(残り)
㉙京都(14市5郡)
㉘大阪(33市4郡)
㉗北海道(27市61郡)
㉖沖縄(2市2郡)
㉕和歌山(8市5郡)

全市郡完全走破達成
㉔石川(2017.11)
㉓岐阜(2017.11)
㉒奈良(2017.7)
㉑秋田(2017.6)
⑳山形(2017.6)
⑲滋賀(2016.11)
⑱富山(2016.10)
⑰宮城(2016.5)
⑯岩手(2016.5)
⑮青森(2016.5)
⑭三重(2016.2)
⑬愛知(2015.11)
⑫福島(2014.10)
⑪新潟(2014.9)
⑩長野(2014.9)
⑨静岡(2014.4)
⑧山梨(2013.10)
⑦群馬(2013.7)
⑥栃木(2013.5)
⑤茨城(2013.4)
④埼玉(2013.2)
③神奈川(2012.11)
②東京都(全市郡区2012.9)
①千葉(2012.5)

カウンター
カテゴリ
夢 (9)

骨サイ⑧何も残さなかったと言ったので熱くなった

11月12日
佐原
おけまつ食堂で

彦一凧のオリジナル凧を見せていただいて
骨サイ
「部分的に写真を撮っておくと、自分で作る時役立ちますよ
どんどん撮ってください、どーぞ」
と勧められて、パシャパシャ
骨サイ
十文字の結び方など、ちょっとしたコツも教えていただきました
骨サイ
この丸いのが、とっても独創的です

そこへ、おじいさまでしょうか、
年配の方がどこからともなく現れまして
何の前触れもなく、彦一さんの思い出話を始められました

その方は、彦一さんの御親戚のようで
彦一さんにいちばん可愛がられた、と言っておられました

彦一さんは歯医者さんだったけど
近所の人が壊れたラジオを持ってきたりすると
快く直してあげていた
など
彦一さんがとてもいい人だった、というエピソードを聞きましたが
そこから、彦一さんが、とても貧乏だったという話がたくさん出てきました

歯医者さんの治療で、何回も来られないという患者さんがいると
一度に何カ所か直してあげて
治療費は100円でいいです
と言うような人だったので、
お金をがまったく貯まらなかったんだそうで

冬でも暖房が付けられないので
このおじいさまが、自分でガソリンスタンドに行って
定期的に灯油を配達してもらうように手配したこともあった

彦一さんは、パン屋さんで分けてもらったパンの耳だけを
5日間くらい食べていたこともあった

そんな話をされていました

おかはんが驚いていると
隣に立っていた、家元の後継者の方が、
「これって、現役の歯医者さんの時の話ですからねえ」
と言われたので
「ええええーー」とおかはんは、言ってしまいまいました

歯医者さんをやめて、無職になったのなら
そんなこともあるのかなあ~
と思って聞いていたので
とても意外でした

こんなに貧乏な歯医者さんが、
ちょっと昔だからって
居たのでしょうか???

歯医者さんを辞めてからは、古い家を取り壊して
その後にコーポが建って
その一部屋に住んでおられたようでしたが

そのおじいさまがおっしゃったのは
「彦一さんは、何にも残しませんでした
財産も、何にも、何ひとつ残さなかったんですよ、何にも」
と強調するように言われました

おそらくですが、彦一さんが亡くなられたとき
家財道具なども少なかったという事なんでしょうか?
おかはんは、そこんところは追及して聞きませんでしたが

おかはんは思わず言いました
「彦一さんは、すごいものを残されましたよ。
この彦一凧ですよ
北海道で彦一凧を見たんですよ
自分で作った彦一凧を、すごい凧なんだと自慢されていましたよ
彦一凧が、遠くの方まで広まってるんですよ
彦一凧をあげた人は、みんな驚いて、嬉しくなって、自慢したくなるんですよ
凧上げが楽しくなるんですよ
そういう凧だと思うんですよ
こんなに簡単に作れて、誰でも簡単に上げられて
完璧だと思うし
これ以上の凧って、もうずっと出てこない気がします
今までの人たちだけじゃなくて、、未来の人たちの為にもですよ
彦一凧を残したってことですよ」

とおかはんがすんごく熱く語ったんで
全員が
しーーーーん

でも、一呼吸おいて、みんなが
うん、うん、と頷いてくれました

そして、
最後にこのおじいさまが言ってくださった言葉に
おかはんはジーンとしたんですが
まだつづく

骨サイ⑦ここまでたどり着いちゃった

11月12日
佐原
おけまつ食堂に入ってみると
彦一凧が飾ってあるかもしれないなあ、と予想していたんですが
凧はひとつもありませんでした

おかはんは、カレー
とっつぁんは、かつ丼を注文しました

そして、なんて切り出せばいいのか、とても困ってしまって
注文した後に、お店の人にまた「すみませーん」と呼び掛けて
ひそひそ声で話しかけてみました

「あたしたち、観光案内所でここを教えてもらって来たんですけど・・」
「ああ、それはありがとうございます」
「いえいえ、彦一凧の事が知りたくて・・」
「ああ、は~い」と、
お店の人は、すべて心得ましたというように、にっこり笑って
すぐにいなくなってしまいました

何が何だかわからず
「はあ??」の顔のおかはん
そして、首をかしげるとっつぁんです

しばらくすると、さっきの人が戻って来まして
「今忙しいので、時間が出来てからって言ってます」
「あ、はい、これからお昼ご飯いただきますので」

そして、がっつり
やっぱりがっつり、カレーとかつ丼を平らげました
おいしかったです

食べ終わったころを見計らってか、
女の人が、男の人を連れて出てきました

それは、
じゃっじゃ、じゃーん

この食堂の方で
凧協会の佐原支部の支部長さんだということでした

ここで終われば、まあ、そんなもんかなあ~
で終わりですけど
おかはんが、じーんときちゃった所までいかないと、話は終わりません

おかはんは、北海道で彦一凧を見て感動したこと、
凧揚げしている人を探しに来たこと
佐原の彦一さんがという人が発明したと聞いたので
発祥の地碑があれば、写真を撮りたいと思ったことを説明しましたら

発祥の地碑はなく、
凧上げは、お正月とかにみんなで揚げるけど
いつもあげているわけではないそうです

そして、彦一凧のことをいろいろ説明していただきました

彦一凧の作り方は、ネットに出ているので
誰でもそれを見たら簡単に作ることが出来るそうです

ネットで、材料キットも販売されいて
「とても安いですよ」
と言われていました

あとでとっつぁんが調べたら、600円でネットで買えるようです

そこで、おけまつ食堂の方が言われたのですが
彦一さんは、この凧をみんなが挙げて楽しんでもらいたいので
作り方を発明しても、権利とかにこだわらず
みんなに公開したそうです

そして、
「わたしも一円も貰ってないので、だから
安くキットが販売されているんですよ」
と言われたのです

「はあ?それって、どういうことですか?
もしかして、彦一凧の権利を持っている方ってことですか?
権利を持っているけど、お金はもらっていなくて
他の方が販売されている?」

「そうです」

「はっ!
じゃあ、彦一凧の後継者、っていうか
今は、彦一凧の、なんというか、、、継承者、、、トップ、、、」

(おかはん、言葉が出て来なくて、家元??違うか、、、)

「はっ!
じゃあ、里村さんですか?」

「はい。そうです」

「おおー」
(里村さんに会ってしまったー!!)

里村彦一さんとの間柄は、お聞きしましたけど個人情報なので書きません

そして、「ちょっと待っててください」と
これを、出してきてくださいました

これ、彦一凧の元型なんですって
1回も上げてなくて、これがオリジナル

「未来までずっと彦一凧の基準として残る凧ですよね」

おかはんに、「持ってみてください」と言って
持たせてくださいました

「いいんですか~?わたしのような者が、触って」
「いいですよ、どうぞ、どうぞ」

ひ~。緊張する~

まだ、おかはんがジーンとするまで
もう少し話は続きます

骨サイ⑥次の行先を指定されてしまった

11月12日
佐原駅前の観光案内所で
「彦一凧の発祥の地の記念碑とか
とにかく彦一凧に関係のある場所はありませんか?」
と尋ねたところ
観光協会の人はわからないようで
ちょっと待ってくださいと言われて、奥に入って行かれたんですが
なにやら声が聞こえてきます

「彦一さんってわかります?」
「ああ、彦一さんね、知ってますよ。
もうとっくに亡くなられてますよ。
晩年はアパートで暮らしてたわよね」
「そうそう」

ご年配の男の人と女の人が、のんびりお茶を飲んで寛いでいるような
シルエットが見えました

「彦一さんのことだったら、どこがいいですかね?」
「それなら、おけまつ食堂ね」
「そうそう、あそこだわね」

短い会話のやり取りの後、
観光協会の人が、テキパキと戻って来て
「聞こえていたと思いますけど、おけまつ食堂に行ってください。
場所はここです」
と、地図に近づいて、さし棒で1点を指しました

おかはんは慌てて、地図を写真に撮って、
御礼を言ったんですが
他のお客さんも待っていたので、忙しくなってきて
それ以上は聞けませんでした

おけまつ食堂が、いったいなんなのか?
何も教えてもらえませんでした

骨サイ

おかはんたちは、もともと
彦一凧をあげている人を捜していたんですけど

おけまつ食堂に行ったら何があるのでしょうか?
骨サイ

おかはんたちは、
スタート地点の道の駅こうざきで、焼き鳥串を2本
その後道の駅さわらで大判焼きを1個
食べたばっかりなので、わりとお腹は満たされています

が、とりあえずは、ここで
何か食べなくては行けない気がします
がっつりしたものが出て来そうな食堂です

骨サイ⑤観光協会の人の思い出話

11月12日
佐原って、小さな川沿いに古い町並みが残っていて、
千葉県のたびするでは行きましたけど
伊能忠敬の家や記念館もありました
伊能忠敬は、自分のやりたいことに一途で、
精神力の強さに、とても感心した記憶があります
今回はそこはパスで

佐原駅
駅に暖簾がかかっていて、古い街並みに同化したような駅舎です
骨サイ

駅前に観光協会があるのではいってみました

お土産の物販もやっているので忙しそうで、
申し訳なかったのですが、聞いてみました

「彦一凧に関係のある場所に行きたいんですが
彦一凧発祥の地とか、ありますかねえ?」
「なにだこですって?」
「ひこいちだこ」
「う~ん。それ、聞いたこと無いですねえ。どんな凧ですか?」
「どんなって言われても、、、かなり変わった形です」
「う~ん。」

観光協会の人は、すごく困ったご様子で
しばらく考えていましたが

「変わった形の凧ですか~?
そういえば、昔、私が小学生の頃、変わった形の凧をあげたことがあります
ちょっと待ってくださいね」

そう言って、観光協会の人が
紙とペンを持ってきて、そこに絵をかきました

「こんな形だったかなあ~??」
と四角い形を描いて

「ああそうだ、下のこの辺に、こんな変なものが付いていたような・・」
と、四角の下に、小さな丸いものを二つ描きました

おおう、彦一凧は、下に丸い団扇のようなモノが一つだけ付いているんですが
その人のは二つでした
でも、きっと彦一凧です

「そうそう、それそれ、それ、ほぼ彦一凧です」

「へえ~、これ彦一凧って言うんですか~。
凧ってことはもちろん分かっていましたけど
彦一凧という名前だったとは、今まで知りませんでした」

「彦一さんという人が発明した形なんですけど
凧をあげる人たちにとっては、すごく有名な凧で
全国でも有名で
彦一さんは、佐原の人なんですよ
佐原に住んでいた彦一さんが発明したので、
この佐原から全国に広まったってことみたいなんです」

「へえ~え。だから、小学校の時、上げたんですかねえ。
今の小学生はどうかわかりませんが、私たちの時は、
必ず1回、3年生くらいで、全員があの凧をあげることになっていたんです
凧に自分で絵を描いたんですよ
懐かしいです
子供だったから、佐原の人が発明したとか、
そういうことは分からないままだったんですねえ」

観光協会の人に、むしろ、感激されてしまって
懐かしい思い出を甦らされているようでしたが

「じゃあ、彦一凧に関わる場所ってないって事ですよねえ
ま、それならいいです
あったら行きたいなあ、くらいで来ただけですから」
とおかはんが言ったんですよ

そしたら、観光協会の人が、
「あ」
と言って、どこかにむかってさっさか歩いて
観光協会のスペースの奥の端っこの方の
なんだか見えないあたりに、行ってしまったんですよ

おかはん、なんだろう、と思って待っていたんですけど
シルエットだけは見えるんですが
誰かそこにおられるのは分かったんですよ

それが彦一さんだったら、驚きですけど
そんなわけないでしょう

あの凧って、いつ発明されたんでしょうかねえ
広まってからも、だいぶたっていると思うので
彦一さんがおられるはずはないと思うんですよ
どう考えたって、彦一さんではありませんよ

骨サイ④彦一さんの歯科医院へ

11月12日
佐原

彦一さんが歯医者さんだったってことが判明したので
そこで考えたんですよ

歯科医院って、案外子供が引き継いだりするじゃん
だとしたら、今もあるかもしれないよね

そこの入り口かなんかに、彦一凧発祥の地の碑があったら
そこで写真を撮って帰ろう

ってことになって

佐原
里村歯科医院

ととっつぁんがスマホにいれたんですよ
そしたら、すぐに

「あ。1軒だけある。住所もある」
「あるの?やっぱり、今ももあるんだ」

そこで、Gマップで場所を特定して
早速行ってみたんですよ

そしたら、
骨サイ
コーポサトムラでした
・・・
やっぱり観光協会で聞いてみるしかない
こうなったらダメもとです